ドレミファ先生

  

富山県氷見市


 「忘れやしない、忘れるものか。
    春の初めの城あとで、見つけたかわいい花すみれ、
      泣いていたのか濡れていた、覚えているとも忘れるものか♪」
  「ドジョウが出てきてカエルがピヨン、なまずがニョロニョロ顔だして、
    めだかがチョロチョロかくれんぼ、なんでも昔のままなのに、ドレミファ先生なぜいない♪」

 この歌は私が小学校3年生の時、体育館で全校の生徒が観た映画の主題歌である。子ども達と、大好きな先生との出会いと別 れが描かれていた。遠くへ行ってしまった先生を慕って子供達が歌うシーンではオイオイ声をあげて泣いて観ていた。
 でも、優しくて温かい気持ちになり、学校からの帰り道、この歌を歌いながら帰った2歳上の姉も感激して帰って来て、二人でズーッと歌っていた。私はこの歌を音楽ノートに一生懸命、採譜して歌詞のまわりをピンクや水色のクレヨンで花飾りをつけこの歌には特別 に金色のクレヨンも使って飾った。
 今も春先の山道でスミレに出会うとこの歌がふと口をついて出る。仕事が苦しい状況のときなどは小さな紫の花に胸がキュンとしてしまう。しかし同じ世代でもこの歌を知っている人に会ったこともなく、あの映画は私の家族だけが知っている、まぼろしの謎の映画だった。

 4月、東京の吉祥寺で「釈迦内柩唄」の公演をした。東京仏教学院同窓会会長の西さんが終演後、1人の女性を紹介して下さった。伊藤美苗さんといった。色白のはっきりした目鼻立ちの大きな目をしたその人は、「とても良かった。歌舞伎をはじめ、さまざまな舞台を観ているけれど観ている時に亡き父の仕事がよみがえったのは、初めてです」と言われた。

 数日後、本願寺築地別院での公演の打ち合わせの為、西さんと別院の輪番室にお邪魔した。伊藤さんも来ていた。隣に座った伊藤さんが言った。
 「父は若くして亡くなりましたが教育映画を作り全国を巡演していました」
 ハッとした私は「もしかして、その映画には主題歌などありましたか」と聞くと彼女はうなずいた。私は思わずドレミファ先生の歌を口ずさんだ。まんまるな彼女の目が一層、おおきくなって、きれいな顔がクシャクシャになって涙が溢れて私と同じ歌を歌いだした。2人で「どうして、どうして」と言いながら夢中になって歌っていた。輪番室は驚きで満たされた。

 なんと、彼女は「まぼろしの映画」の脚本家であり監督だった佃血秋の愛娘だった。彼女はこの映画の歌をキチンと歌える人に初めて会ったと喜び、私はあの小学校の体育館以来、この歌と映画のことを知っている人に初めて出会った。
 そして「まぼろしの映画」が「ドレミファ先生」という題名で主題歌はサトウハチロウ作詞、古関裕而作曲であることも知った。この映画の誕生秘話も知った。

 数日後、家に帰ったわたしはその話を母や姉妹に話した。みんなその歌を覚えていた。私は彼女に電話をして家族みんなが歌を覚えていることを伝え、受話器のまえでみんなで歌って聞かせた。喜ぶ彼女の声がふるえていた。

 彼女は父、佃血秋の故郷であり菩提寺のある富山県氷見市で「釈迦内柩唄」の公演を実現させたい、氷見の人たちにこの作品を見せたいと、尽力してくれた。その御縁がきっかけとなり、今、氷見市での公演の準備がすすめられている。
 人の心を豊かにしてくれるほんものの文化の力は50年経って奇跡の出会いをつくってくれた。佃血秋は、私達小学生を感激させてくれた、あの「ドレミファ先生」の撮影中に47歳で急逝されている。
 海のみえる、氷見市の公園に彼の歌碑がある。

 『さしてゆく岬みさきのいくまがり わが越しかたにさも似たるかな』

  記・玉井 徳子(2002.8.22発行 通信NO.32より)