親父たちの同胞

  

福井県清水町


 かつて青年団を中心に、統一劇場の先輩たちから今まで何度も公演してきた清水町。そこで青年団の中心を担ってきたというなんとも朴訥とした、中年のおじさんに逢った。
 その人の名は田嶋信治さん、何となく私の中では、眼をキラキラさせて熱いエネルギーを回りの人に放射し、酒好きで「俺の酒が飲めねえのか!」て感じで人生論とか、哲学とか話出すと止まらない。
 そして、義理人情厚く涙もろい、という一生懸命やっていた青年団OBのイメージが(すいません)あるのだが、その時、私の目の前で話を聞いてくれた彼は、それとはよほど遠いところにいた。

 今では無くなってしまった青年団のこと、清水町の若い人たちに太鼓を教え、世話役をしていること、老人ホームに勤めていてその仲間の若い子たちのことなど話してくれて、優しそうで誠実そうなのだが、やれそうなのか、そうで無いのか、やりたいのかそうで無いのか、なんとも煮え切らないような煮え切るような、本当に青年団の幹部だったのかと、かなり疑いながらその日は帰途についた。

 後日、彼はお世話になったOB達、経験の無い若者達を集め話をした。すると彼は「どうしてもやりたいと思っている」と言い、「今無くなってしまった青年団のことを想っても仕方が無い、これをきっかけに若い人に復活してとも言わない。問題は親父になった自分達だ。今回この取り組みをしなければ、今まで自分達がやってきた劇団公演、そこから生まれる様々なドラマが、2度と出来なくなりはしないか?」と、いつものように淡々と話し始めた。

 私は恥じた。その時やっと気付いた事に。前回の話の中身が1本の線で繋がった。昔の郷愁や今の若者に対しての絶望や不満では無い、時代がどう変化しようと、過去がどう評価されようと関係無い、「昔は良かった」と嘆いたって仕方無い。これは自分達が、今どうしたいかどう生きたいかを問うているのだと、これは、青年団を卒業した自分達の「同胞」なんだ!と……。決して熱くならないその口調の底には、そんな想いが渦巻いているように感じた。

 それから彼は歩いた。太鼓サークル、職場の若者たち、青年団のOB、PTA、そして、女性ネットワークの代表の小林さんには何度も頭を下げ、その姿に代表も意気に感じ、実行委員会の会長にも同意してくれチケットの販売には絶大な協力を惜しみなく注いでくれた。

  親父達 の「同胞」、静かな口調に流れる熱意に老若男女の人が共感し協力し合い、町が動いた。
900人の懐かしいお客さんの入った体育館と彼等の笑顔は、私達すら忘れてしまいそうな、ほんの少しの青春の薫りがした。

 記・米田 亘(2001.8.13発行 通信NO.30より)