塩尻に居たふじ子


長野県塩尻市


 玄関の扉が開くと、小柄で黒髪のおかっぱ頭と二重の黒い大きな瞳の、日本人形を思わせる笑顔が私を迎え入れてくれた。それが石曽根美佐子さんだった。2軒続きの木造二階屋の、お宅を訪ねたのは2月のある日の午後だった。
 初対面だったし、30分位のつもりが楽しくて話が尽きず気がついたら室内が薄暗くなっていた。窓からの陽射しがいつの間にか遠のき冬の早い夕暮れ時になっていた。なぜ電気を点けないのかなと思ってハッとした、そうだ彼女はほとんど視力がないのだった、ぼんやりとした明るさしか分からないのだった。お菓子を出したり、お茶を入れてくれる動作から、そしてその明るさと黒い瞳に接していると眼が不自由とは、とても信じられない。素直にそう言うと彼女はいたずらっ子のような表情で鼻にシワをよせてエヘへッと笑って「見えない振りしてるのよっ」と言うので又又ふたりで大笑い。
 後日、後輩と2人で泊めていただいた事があったが、その時、彼女の作った色どりも美しい素敵なサラダにビックリ、思わず「見えない振りしてあのっ子、わりとやるもんだねっと〜」昔、流行ったアミンの歌を歌ってしまった!。以前は見えてちゃんと主婦してたんだから、その時の記憶があるんだと言う。先天性の難病で徐々に光を失いやがて完全に失明する。生まれたときからそれは分かっていたのだと言う。

 独身かと思ったら20才の娘さんが名古屋の大学に行っているとのこと。ご主人とは盲学校で知り合い結婚。彼は建築の勉強をしていた大学生の時、円錐角膜で視力低下。共に鍼灸師の資格を持っている。彼は角膜移植手術によって視力を回復、多少の不便はあるけれど車の運転もするし、医院の物療室で働いている。

 毎回夜に開かれる実行委員会へ2人揃って参加してくれていた。ヒョロリと背の高い彼の腕に寄り添って駐車場から歩いてくる2人のシルエットは写真家ユージン スミスの名作「楽園への歩み」と重なって私はその度に心のシャッターを押していた。実行委員会の初顔合わせの自己紹介で「私は視覚に『しょうがい』がありますが口から先に生まれてきた様で、口は達者で時折、災いを起こすかもしれませんがよろしくお願いします。見えない振りしているかも知れませんので気をつけてください。目の不自由な人達がもっと社会に出て世界が広がる様、相互に理解が深まる様、副音声のガイドの実施に頑張ります。」と言った。その横でご主人はにこにこと恥ずかしそうに「僕は彼女に付いて来ただけです」と。彼らは実行委員会の心のシンボルになった。
 「釈迦内柩唄」に美佐子さんは滝の様な涙を流した。人前で涙を見せた事のない彼女が「心の奥にズーとしまっていたものが突き破って出てきて止める事が出来なかった」と。
 彼女を初めて訪ねたあの日、夕暮れの中、帰る私を車の所まで送ってくれた時だった。玄関先とは言え、家の外をよく歩けるものだ感心して言うと「お陰さまで私は徐々に光を失っているので少しづつに闇に慣れて行けるの」さらりと言った。徐々に光を失って行く不安と恐怖はいかばかりかと思う私の心を突き刺す言葉だった。彼女の姿は今もこれからも私の心に生き続けて行く事と思う。
 長野県にいる間は仕事に疲れた私の体を鍼灸で治療するから任せて、とお二人は言ってくれている。

 記・玉井 徳子(2009.08.13発行 通信NO.46より)