3才の時亡くなった父の葬儀は全く記憶がない。けれど13才の時の母の葬儀、とりわけ火葬場での体験は、47年の月日が過ぎた今も鮮明に覚えている‥‥。
山陰地方の小さな町。火葬場は、町はずれの田んぼの中にひっそりとあった。レンガ作りの煙突が目印。火葬窯が一つだけあり、それを取り囲むように右手には火葬係の男性が生活している6畳間、左手には拾骨を待つ人々のための8畳間があるだけの木造小屋。そのころは薪を使っての火葬だったから、軒下には荒縄で束ねた薪がうず高く積みあげられていた。
拾骨が終わり、縁者が帰り仕度をしている間のことである。火葬場の男性が近寄ってきて私の手を取り告げた。
「これ覚えておりんさるか?あんたのお母さんのさし歯だで。金のが一つ、銀のが一つあったわ‥‥。お母さんだと思って持っとんせえ。お守りだなああ。(語尾の『ああ』はこの地方独特の言いまわし)あんたを守っておくれんさるから‥‥。元気出しんせえよ‥‥。」
男性は小さな金銀の歯を私の手の平にのせたあと、大きな手で私の手を包みこんで語った。
「元気出しんせえよ‥‥。お父さんも死にんさっただってなああ。わしは、ようけ(たくさん)人の死を見てきたんですがなあ、みんな佛さんのような顔になって往かれます‥‥。どんな苦労があっても最期は佛さんですわなあ。お母さんも佛さんになりんさった。佛さんが守っておられますで、どんだけ苦しいこと、辛いことがあっても頑張るんだで‥‥。負けたらあきまへんよ‥‥。私もなあ、他人から『あいつは隠亡だあで』と言って冷とうされとる。嫁さんにきてくれる人もおれへん。だけどなああ、どんな人も、佛さんになってもらうための大切な仕事やっておるんだと胸はって生きとるでなあ‥‥。ほんなら、さいなら、元気だしんせえーよ
!」
男性のやさしいひとことひとことに、病院で遺体に会った時からこらえにこらえていた悲しみが胸いっぱいにふくらみ、大声で泣き出した私を、男性は、かけよってきて大きな体で強く抱きしめてくれたのである。人生の途上いくつもの『人間の暖かさ』を頂いてきた私であるが、あの男性のぬくもりは、いつまでも消えることはない。
はじめて「釈迦内柩唄」の舞台を観た時、若き日の体験と、ふじ子一家の暖かさがオーバーラップして、涙がとまらなかった。
