ふじ子

 

 

 

 

 

 

 

釈迦内柩唄ストーリー

 

 釈迦内は秋田県の花岡鉱山が近くにあった在所の地名。その地で親の代からつづいた死体焼き場の仕事をしている家族。その仕事を引き継ぐことになった末娘・ふじ子の物語…。

    

「なして、人は焼き場オンボの子と馬鹿にしたような、冷てえ眼で見るんだべか…」
「なして、お母はこんなオンボの家さ嫁に来たんだべか…」
「なして、姉たちは普通の結婚が出来ねえんだべか…」

 その職業ゆえに人から忌み嫌われ、蔑まれる家族。しかし、そこには家族の深い絆と愛情、わけへだてない人に対するやさしさがありました。

 酒を呑まずにはいられなかった父・弥太郎が死んだ日、ふじ子は父を焼くカマの掃除をしていました。ふじ子の胸に、さまざまな思い出がよみがえります。小児麻痺がもとで足の不自由な身体ながら働き者の母・たね子。美人の姉・梅子。読書好きの次姉・さくらのこと…。

 昭和20年、終戦間近なある吹雪の夜、ふじ子はまだ小学6年生。コタツを囲んで家族の楽しい団欒のひとときでした。
 ある晩のこと。傷を負った怪しげな男が突然転がり込んできました。その人は、隣町の花岡鉱山から脱走してきた朝鮮人、崔東伯(さい とうはく)でした。
  その崔東伯を弥太郎の家族は温かく迎えます。たね子は故郷の木挽き唄をうたい、ふじ子は長女・梅子に習っていた舞踏を、次姉・さくらは蓄音機をまわし、訪れる人などいない焼き場の夜に、賑やかなひとときが流れていました。そして、祖国・朝鮮の民謡を唄う崔東伯の声が家族の心に沁みるのでした。

 しかし 崔東伯は、総出で脱走者の山狩りをしていた憲兵に発見されてしまうのです…。

    

 父が 山の畑いっぱいに育てたのは、人の灰で育ったコスモスでした。人の顔かたちが違うように、コスモスの花もまた、ひとつひとつ違って、風に揺られて咲いている。

 「こいは、お母はんがもしれねぇな…。あっちの白ぇ花っこは朝鮮の崔さんがも知れね…。」
「人間は、大臣も百姓もねぇ、みんなおんなじ仏様になるあんだ。釈迦内で死んだものらが、それぞれの顔して、今はコスモスになって風に揺れてるんだ…。」
  と言った、父の言葉が思い出されます。
 ふじ子はこのとき「お父の仕事」を継ごうと思ったのでした。

 シャン、シャン、シャン……

 コスモス畑をぬけてくる馬車の鈴の音。いつもは棺桶を運んでくる馬車が、今日は姉さんたちを乗せてくる。家を離れて遠くに暮らす姉たちが帰ってくるのだ。お父を弔うために……。