釈迦内

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釈迦内guest

「釈迦内柩唄」メッセージ

皆さん観て下さい

元・臨済宗妙心寺派管長
元・全日本仏教会第29期会長
河野 太通

 遺体を焼く「かま」の内部の壁面には、人体の脂膏が濃厚にこびりついていて、それを篦でこさぎ取って掃除をする。父親弥太郎の死体を焼くことになった「かま」の掃除をする、ふじ子の独白で芝居は始まる。
 父親が「オンボ」と呼ばれる仕事をしている事で、世間の不当なまなざしに悩みながら、ふじ子は人間の真実に気付いていく。母、たね子は障害を持つ身の故に、ここに嫁いできた。花岡鉱山を脱出して、憲兵に殺害された韓国人の、火葬許可書のない遺体を焼くことを、ガンとして拒絶する弥太郎に代わって、涙と共に障害の身を押して焼くたね子の姿に、観無量寿経の「母に悲恩あり」の語がひびいた。
 死体を焼くことを職業にする人ができる以前は、部落の家々が葬儀の仕事はすべて分担して行ったのである。かの戦争中、私も九州の伯父の家に居て「オンボ」を務めたことがある。
 この釈迦内柩唄は人権、戦争など現代社会が抱える諸問題に一条の光をさしかけている。また運命から逃れるのではなく、それを引き受けて生きるとき、人は真実を見出し、美しき豊さにたどりつく事を教えている。
 ふじ子が言う「死ねば、みんな灰になる」と、この世界の究極の真理に今、生かされている事に、ふるえるような厳粛な充足感を覚えた。山の畑いっぱいに弥太郎が人の灰で育てたコスモスが咲く、「花は死んだ者の顔だでや」と。
 いま秋になると、やはりコスモスが休耕田に咲き乱れる。皆さん観て下さい。

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