希望

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希望舞台の仕事

演劇とは希望を語ること

希望舞台の創立は、1985年、統一劇場 創立20周年を期に分離独立。
誰にでも親しまれる「現代の芝居」を求めて日本中を歩きます。身近な生活に題材をもとめ、くらしの中の悲しみ、辛さをあたたかい笑いにかえて、日本人の笑いと涙、生きることへの生命をうたいつづけていきたいと思っています。

日本中の人々と「劇場」で出会いたい。

旅公演を中心に全国各地の方々と協力し、公演に必要なすべての仕事を劇団員全員で協力してやっている職業劇団です。

出会いは創造の始まり。

芝居(演劇)が出会いを通じて、今を生きる人々の身近なところで息づいていく。そんな仕事をめざしています。

19年度ご挨拶「分け入っても分け入っても旅の空…」

 シェークスピアの名作「ベニスの商人」の舞台を学校を中心に全国公演している劇団がある。八十五才の座長が主演し、若い出演者、スタッフと共に移動し公演を続けている。学生と一般の観客の違いがあるが全国を巡演するスタイルは希望舞台と同じだ。私も八十才を目前にしているせいか心が騒ぐ。座長は私と違って舞台にも立っているのだ。敬意の念が湧く。
 私は大学を卒業する頃になっても将来の道筋など考えることもなく、積極的な生き方など思いもつかなくなっていた。学友はそれぞれの道を定めているとき、学業を退め一人上京、とりあえず住み家と食べる仕事を探していた。
 そんなとき、真山美保率いる新制作座に出会った。「日本中が私の劇場」をひょうぼう標榜する姿が目新しくまぶしかった。プロの演劇など馴染みなどなく何の知識もなかった。住所を調べて直接劇団を訪ねた。試験があることなど知らなかった。そんな青年がときどきあるらしく、ともかく一年間の見習期間を許された。すぐ公演会場に連れていかれた。習うより慣れろ!と言う訳だ。
 劇団だから発声とか訓練ばかりを想像していたが舞台の設営や作業の多様さで目が廻る。男も女も区別なく肉体労働から、食事の準備まで手際がよく、ウロウロ見ていたのでは邪魔になる。労働が生きている。妙な感心をしたものだった。 労働というものへの辛い、しんどいイメージが逆転した。昼夜二回の公演が一週間も続けば若い肉体でもボロボロになるが、開演ベルが鳴ると俳優も裏方もそして数百人の観客も一瞬にして緊張が走る。舞台裏から観客の哀しみをこらえる顔、一瞬にしてどよめくような爆笑、一人一人みな違った顔で表情も違うのに体育館がどよめきで揺れるようだ。プロの芝居、劇場は生きものの共鳴体なのだ。
 その後、新制作座から統一劇場、希望舞台、劇団は変わったが共通しているのは地方の観客、生活に身近な場で創る「劇場」は共通している。それは当初から、劇団を観つづけてくれた哲学者、福田定良先生の助言が大きかったと思っている。
 地方の生活者を観客にする公演の特徴を「間にある」演劇と位置づけてくれた。芸術と娯楽の間、わかり易く楽しい芝居の創造、創り手だけのものではなく、観客もまた一方の創造主体であることを認識することだった。また「間にある」は中途半端になることを戒めた。たえず観客、生活者の近くに身をおく活動をすることがこの公演を発展させる唯一の道であるというのである。生活者から離れ、その活動を止めたら必ず創造は停滞すると言うのだ。
 新劇運動の創成期から、俳優のみならず、演劇運動の中心に居た老優、宇野重吉が晩年、ガンを承知の上でのぼり旗をかかげて、地方を巡演した姿がよみ返る。その途中で亡くなられた。
 恐縮ながら、演劇人への遺言として受けとっている。
 今、あらためて思い返し、再度原点に帰り新しい出発をしようと思う。

由井 數