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希望舞台の出会い

2001年の奇跡

群馬県東村

 東村は12年前に「あした天気になれ」を上演して以来の公演地で、東村には長年、地道に文化活動をしている小川克さんがという方がいます。
 小川さんとは統一劇場以来のおつき合いで、もう25年程になる。小川さんは幼稚園の教諭を経て現在3つの児童館、(学童保育)の館長をしています。その児童館で母親クラブを結成、子供達の未来の為に様々な活動を情熱的に展開しています。子供のための絵本の読み聞かせや、朗読劇もそのひとつです。
 僕も何度か母親クラブに足を運び協力させてもらいました。そんな中で「高田さんには世話になってるから、いつか希望舞台の公演を東村で実現させなければな」という小川さんの一言が僕の心に火をつけたのだ。以後、呼びかけ文を何度も発送したが集まって来るのはいつも3名程度、公演日は9月28日、7月の終わり、母親クラブの小島浩美さんが「おばあちゃんの公演をやりましょうよ、動き出せばなんとかなるわよ」の一言で決定、根岸衣美子さんが「じゃあ私が応援団長になるわ」小川事務局長、小島副応援団長、3役だけの応援団(実行委員会)がスタートした。
 大急ぎでポスター、チラシ、チケットの印刷、配券体制に入ったのが公演の1ヶ月程前、常識では考えられない取り組みである。取り組みが困難を極めたことは言うまでもない。頼りにしていた人には協力を拒否され、中傷され何度もくやし涙を流した根岸さん、思い通りに取り組みが進まず何度か落ち込んだ小島さん、じっと耐えコツコツと券を売り歩いた小川さん。それでも日を追うごとに母親クラブのお母さん方が応援団に参加。その輪は10名程になった。
 毎週木曜日、午後4時から始まる実行委員会は、応援団長手づくりの栗ご飯、とん汁、持ち寄ったジュースや菓子で、食事会や茶話会に変身、形式的な会議など、「どこかへ飛んで行け」である。公演日まで時間が無い、チケットは売れてるのだろうか、そんな僕の不安もどこ吹く風だ。一人一人が実にパワフルで目標に向ってキラキラと輝いている。
 しかし、実質3人の取り組み、村で非協力的だった実力者は勿論、後援の教育委員会の人たちですら観客動員は失敗すると思っていたに違いありません。公演当日、心を込めた受付けづくり、根岸さん、小島さん、小川さん、応援団3役の顔は確信に溢れていました。開場時間前に長い列、開演時間には495の席は満席、奇跡が起こりました。奇跡をつくりました。この日、東村の劇場は観客の反応で大きくゆれ動いたのです。口惜し涙が感動の涙に…。
 東村希望舞台応援団、素晴らしい一人一人の出会い。 小川さん曰く、
 「2001年、9月の奇跡だ」

記・高田 進 (2002.1.1発行 つうしんNO.31より)