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希望舞台の出会い

色褪せなかった記事

北海道網走市

 北海道新聞の「朝の食卓」というコラム欄に「良い子」と題するエッセイが載っていた。書かれたのは網走脳神経外科病院の院長、橋本政明先生だった。ありのままの自分と向き合うことの大切さを書かれたものだった。 脳神経外科と言う時代の最先端の医療に携わる医者が人間をこんな風に見つめることができるということに、新鮮な驚きと共感を覚えた。

 私達も人間を描く演劇の仕事であれば今日の人間と、そのおかれている状況をみつめざるを得ません。時代の一番うしろから歩いているような私達と時代の先端を行く脳神経外科の先生と似たような事を感じている。この先生は医療をとうした眼でこのように感じておられるのだ。お会いしてみたいと思ったが真冬の北海道、札幌からでも簡単には行けないし、まったく未知の人だし未練を残しつつ記事を切り抜いてスクラップだけしておいた。

 2001年、再び北海道を訪れた。切り抜きは黄色く変色していた。でも私の訪ねたい気持ちは色褪せてなかった。誰の紹介もなく突然に面会を申し込むのは、きっとヘンな物売りか怪し気な宗教と思われるかもしれない。
 病院への坂道がツルツルに凍って、流氷から渡ってくる風が痛く刺さる日、病院の玄関に立った。
 数分後、私は院長室にいた。きっと通じ合えると思いながら夢中になって話していた。院長先生は「私以上に共感する、この話にピッタリの人がいます。ここに呼びましょう」といって一人の女性を呼んだ。白いナースの衣裳に柔らかな明るい笑顔が素晴らしい美しい人だった。一目で私は彼女が好きになった。楽し気に話す彼女は看護部長で病院の副院長だった。こんな人を副院長にする院長に一層、好感をもった。「おばあちゃん」の公演を実現させようと言う話になった。すぐその足で彼女と共に会場の予約に行った。

 グラン・マ(グランドマザー)という名の実行委員会は病院の各部署からの有志で構成された。院長に赤字の責任を取らせるようなことは出来ない、とユニークな実行委員会は大入り札止めの大成功の劇場を創った。一幕が終わった休憩時間、院長先生が緊張したような恐い顔で楽屋に向ってきた、何があったのだろうと聞いたら「イヤ素晴らしい、こんなに素晴らしいとは思ってなかった、一言それを言いたくて」という。わたしはうれしくて先生の手を引っ張って楽屋に走った。

 打ち上げは地ビールとワインの乾杯の嵐だった。みんな輝いていた。1人1人が感想を語っていく。私は幸せ一杯に叫んだ。「人間同士が信頼しあえるのに時間が問題じゃない、一瞬の真実があればいいのです。一瞬の真実が今日の日を創りました」 その後、わが親愛なる後輩、ゆかりちゃんが言った。「訪ねて行くほうも行く方だけど、受ける方も受ける方だ」思わずみんな大爆笑!私もなるほどと感心した。

 先生も「騙されているのじゃないか、金が目当てで近づく人が多いのだから気をつけろ」と言われもしたとのこと、そして「実際にはあれほど素晴らしいとは思ってなかった。」と……。
 何も持たず素手で、裸の心で歩いていくこの仕事の幸せを心に刻んだ出会いでした。

記・玉井 徳子 (2001.8.13発行 つうしんNO.30より)