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希望舞台の出会い

やさしさにつつまれて

北海道旭川市

『コスモスや生きるいのけ、消ゆいのち』
 これは「釈迦内柩唄」の旭川公演の観客アンケートの中にあった一句だった。65才の女性の方だった。顔も知らない観客から寄せられる多くのアンケートに私たちはいろんなことを教えられる。そしていつも思わせられる「お客さんて詩人だなー、人々の心ってなんて豊かで優しいんだろう」と。

 旭川の公演は1人のクリスチャンとの出会いからはじまった。そのOさんが六条教会で会いましょう、と言うではないか、六条教会とは敬愛する作家、三浦綾子さんが通っておられた教会で、三浦さんが亡くなって間もない時だったので私は六条教会に行けるというだけで興奮してしまった。
 丁度、「金欠病」で財布は殆ど空っぽだったけれど小さな花束を一つ買うぐらいは間にあった。三浦綾子さんだから花束の豪華さなんか問題じゃない、心、心と言い訳をしながら教会に向かった。
 教会は旭川市の町なかにひっそりと建っていた。60代前半ぐらいのOさんは静かな柔らかな感じの方でフーテンの寅さんのセリフを借りたら「さしずめインテリだな」という印象、そして「誠実」という言葉を人間に変えたらこのOさんだ、という感じの方だった。「釈迦内柩唄」や劇団の話に大変興味を持ってくださったOさんは、粗末な花束を三浦さんにささげたいから、ゆかりの深いこの教会に活けてほしいと渡すと、丁度これから三浦さんのお宅に用があって行くから一緒に行きましょうと言われた。Oさんはなんと三浦さんがクリスチャンになられる前からの知り合いだったのだ。迷う私をOさんはいいからいいから、と三浦さんのお宅まで行くことになってしまった。
 三浦綾子さんのご主人、三浦光世さんは雑誌やテレビでお目にかかったそのままの優しい方だった。Oさんが呼びかけた実行委員会の顔ぶれは教会の仲間の方々、お寺のお坊さん、さまざまな市民運動をやっている方達だった。チェルノブイリの被爆児童に学用品を毎年、届けにいっているお坊さん、タートルネックにトレンチコートの着こなしの牧師のようなお坊さん、図書の点字訳をボランティアでやっている方。何気なく交わされる会話のなかに他人に対する思いやりや優しさが空気のように満ちて旭川の良心の代表のような大人たちのあつまりだった。そんな方達が「釈迦内柩唄」の、ふじ子の世界にいたく共感して下さり30名を超えるメンバーで取り組みはスタートした。
 実行委員会が終わって、凍てつく夜の路を札幌まで帰る私はいつも幸せに満ちていた。当日の劇場もやっぱり何だか泣けるような優しさがいっぱいの劇場だった。

 『85年生きて来てこんなに感激して見た芝居はありませんでした。皆様一生懸命でほんとうに良かったです。』

 85才の女性から頂いたアンケートです。

記・玉井 徳子 (2000.10.29発行 つうしんNO.28より)