希望舞台の出会い
奄美の海
色とりどりのテープがなびく名瀬港。
「フレーフレー!希望舞台!」「ありがとう〜」「ま〜た〜会う〜日まで〜」と、横断幕を掲げて力一杯私たちに声援を送る奄美のみんな。
フェリーが出航すると、彼女達はフェリーを追いかけてどこまでも走ってくる。私たちも見えなくなるまでデッキで手を振り続けた。
この島の人たちのあたたかさは何だろう…
奄美大島の公演が18年振りに実現する事となった。
若い女性が中心の今時珍しい取り組みだった。
離島ゆえ2回公演の経費の他、鹿児島からの往復のフェリー代だけでも30万は別にかかってしまう。島で3千円のチケットが高いのも想像がつく。不安でいるのでは…と、いても立ってもいられなく、公演1ヶ月前に島に渡ることにした。
事務局のみんなとの対面。仲が良く皆島の人かと思ったら有馬ほずみさん以外は仕事で島に在住していた。川村さんは社会福祉士として大阪から、磯貝さんは理学療法士として広島から、山田さんは栄養士として福岡から。この取り組みを通じて親しくなれたとうれしそうだ。楽しい2日間はあっという間だったが8枚しか売れていないのには驚いた。又、若さゆえの想いの行き違いもかかえていた。
島を離れてからは電話かメールが連絡手段。真剣なゆえの悩み、ぶつかり合いもあった。
「私なんかが事務局長でいいのだろうか…」と川村さんより涙声で夜中の電話。「今まで一緒にやってきたみんなと笑顔で当日を迎えたいから率直な思いを話してみます」後日、話し合った事、失敗ばかりの自分だけど頑張ります!と報告をくれた。
磯貝さん、山田さんはすでに仕事を辞め、故郷に帰る事になっていた。しかし、この取り組みだけはやり遂げたいと、滞在を延ばしてくれていた。ほずみさんは進行状況、出会いの感動、感謝を生き生きと報告をくれる。無着さんご夫妻が奄美に協賛してくださったとメールをしたら「うわーん、ありがたすぎて涙でメールが読めません」ほずみさんが泣いていた。
それぞれが「この作品を島の人たちに観てもらおう、成功させよう」と必死だった。
当日、彼女達が嬉しそうに話している「荻原さん、もしかしたら…立ち見が出るかもしれませんよ!」みんなの顔が輝いていた。ほずみさんは開演前からずっと涙を流していた。先日、そのほずみさんよりメールがあった「ゆかりさん、昨夜、磯貝さん山田さんが島を離れました。2人の人柄か、たくさんの人がフェリーの見送りにきていて、紙テープあり、島唄ありのお祭りみたいな賑やかな見送りでした…寂しいけど、でも、この縁はきっと続くと思います。」愛情一杯の送別の情景が思い浮かぶようだ。あのおおらかな包み込むようなあたたかさは出会いの喜びと別れの寂しさを多く知っているからだろうか、それぞれ離ればなれになったけど、みんなで泣き笑いして創り合った奄美の時間は忘れないよ!
また、うがんみょーろ〜