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出会い

希望舞台の出会い

アーメン

兵庫県高砂市

 イエス・キリストの力は偉大だ。公演のキッカケは秋田さんに出会ったことからだ。十年前まで市の組合の役員をしていて劇団はぐるま座を取り組みとても活発な人だったが、優しい性格ゆえに人間関係に悩みこの何年もあまり外に出なくなっていた。
 そんな彼が「リハビリだ、これは自分のリハビリだー」と一緒に町を歩いてくれたのだ。

 そして元さんに出会う。はじめと読む。秋田さんの通う教会の牧師だ。この人もとても個性的なヒトで五〇歳を過ぎて大学の神学部に通い直し、牧師になった。ドラえもんののび太クンをそのまま大人にしたような人だが四カ国語を話す国際人である。神戸から越してきて日が浅く人脈の少ない元さんと僕は毎日コツコツと市内の宗教関係者を訪ね歩いた。説明が足りずに大きなお寺の住職に二人とも怒られたりしたが…。

 ある日、元さんと教会の関係者で婦人会副会長の鈴木さんの家にいった。暗い家の中にひとりぽつんと座っていた彼女は僕たちに会うなり、「私、鬱ですの。いつも自殺を考えているの。」と少し焦点の定まらない目で笑った。しかし彼女は一日もかかさず実行委員会に参加してくれた。打ち上げでは「私、鬱が治ったみたい。もっと生きていてもいいと今思っています」と楽しそうに話してくれた。

 車を持っていない彼女を毎回送り迎えしていたのは時岡さんだ。今年八十才だが今だ現役で家政婦協会で働いている。面倒見がよくとても明るい時岡さんだがその人生は苦労の連続だったそうだ。そんな彼女の口癖は「やっぱり神様に生かされているから…」というものだ。

 ティジュ神父の実家はフランスの代々の墓堀の仕事をしているそうで、ティジュ神父の教会で実行委員会が毎回開かれた。
他にも阪神大震災で生き埋めになった経験を持っている人など…。

 劇団のベテラン制作の玉井女史は『四〇年近くこの仕事をして来たけど、こんな変わった実行委員会は初めてだ』といっていた。僕もこんなに印象的な実行委員会はきっと一生忘れないだろう。人間ってとても弱くてとっても小さい存在だけど、でもやっぱり人間っていいなあって思える素敵な出逢いでした。

 アーメン

記・高橋 康孝 (2005.08.22発行 つうしんNO.38より)