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希望舞台の出会い

案山子がくれた軍服

長野県岡谷市

 岡谷公演を大成功させた熟女(?)に囲まれ、異色のフリーライター廣瀬さんがいた。
 廣瀬さんは自転車で魚の行商をしていたお父さんと、機織りをしていたお母さんと9人兄弟の11人家族の中で育った。小学3年生から朝、夕の新聞配達をした。家の手伝いと新聞配達で忙しく、宿題をやる時間がなかった。宿題をして来ない彼は毎日叱らていた。自転車があればもっと短時間で配達出来る。自転車が欲しい。特に担任の理科の先生が出す昆虫の観察や採集の宿題は彼には実行不可能な宿題だった。先生はたくさん採集してくる生徒には長靴、合羽、鉛筆の褒美を出した。朝夕の新聞配達をしている彼には、欲しいものばかりだった。褒美は毎回、特定の一人の子に渡された。廣瀬少年はあるとき先生に言った「僕は一生懸命働いています。長靴や雨合羽が欲しい。なぜひとりの生徒にだけ何枚もやるのですか、僕にも下さい」即座にげんこつの閃光が走り傘掛けの釘に頭をぶつけられ血がにじみでた。以来その担任教師は彼の顔を見ると殴りつける様になった。先生に殴られるゲンコの痛みと共に社会の理不尽さが身に沁みた。
 5年生の時、お母さんが中古の自転車を買ってくれた。新聞配達のお金を貯金してくれていたのだった。思わず「母ちゃん大好き!」と叫んでしまった。中古の自転車を買った帰り道、荷台にお母さんを乗せて走る廣瀬少年とお母さんの幸せな笑い声が聞こえてくる。
 理不尽を許さない新聞記者になりたかった廣瀬さんは、全日制の高校に進学したかった、けれど、お父さんは「どこにそんな金があると思うのか」と夜間の定時制しか認めてくれなかった。何を言っても許してくれないので内緒で全日制を受験し、合格してしまった。けれど、入学式が迫って来ても着ていく服がなかった。配達中も、何とかしたいと悩む廣瀬少年の眼に飛び込んできたのは、将校の軍服を着た田んぼの案山子だ。「あれだっ!」田んぼの持ち主の庄屋さんを訪ね案山子の服を下さいと頼んだ。庄屋さんは驚きながら「いつも一生懸命やっているからあれで間に合うのなら」と軍服をくれた。その夜、お姉さんが徹夜で案山子の軍服を高校の制服に直してくれた。廣瀬少年は威風堂々と入学式に臨んだ。

 今、新聞記者を定年退職した廣瀬さんの朝は「おじいちゃん、新聞だよ」ヨチヨチ歩きのお孫さんが、布団まで配達してくれる朝刊の匂いから始まるという。そして相変わらず駆け巡る。公演当日も大成功を見届けて廣瀬さんは御柱祭の会議へと駆けて行った。
 私たちが出合う人たちの人生には心をゆさぶられるエピソードがきらめいている。そんな中で私たちの芝居は生かされている。感謝と幸せを感ぜずにはいられない。

記・玉井 徳子 (2010.10.06発行 つうしんNO.48より)