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希望舞台の出会い

消えない記念碑

静岡県川根町

 島田から車で30分、一級河川の見事な川幅の大井川に沿って上流に向かう。日差しにキラキラ映える川面や、川岸にゆったり揺れている柳や灌木に目を奪われながら島田市公演の実行委員長、丸山とし子さんの運転で川根町に向かった。8月の末だった。
 島田市の公演は動き始めたばかり、丸山さんとも知り合ったばかり。彼女は演劇鑑賞会の全国組織、島田市民劇場の運営委員長を長年に亘り勤め、この春、引退したばかりだった。細身の長身にスラックス姿が格好よく、アイシャドーもバッチリのメイクはそのまんまで宝塚の男役。細い指先で紫煙をくゆらす様は決まっている。顔の広さは抜群で市役所のなか、おまつりの商店街、何処を歩いても知り合いがいて「アラ、こんにちは、どうしてる」「オッス、元気?」と100mも真っすぐに歩けない。市民劇場を我が子のように大切にしている彼女は劇団の運営の厳しさをよく知っている。ある日、運営資金に苦慮する私に「娘に車を買ってやったばかりでなければ私が何とか出来たのに、くやしい。島田は絶対いっぱいにするから、黒字をだすから任せて。玉井さん公演日程を増やそう、市民劇場の関係で川根町に知り合いがいる、思い当たる人がいるから行こう」ということになったのだった。自分が責任者の島田公演のチケットを川根の人に売りたいはずなのに彼女の気持の大きさ優しさに泣きたい思いだった。
 そして彼女の同級生だった沖議員、町の中心部の家はほとんど檀家さんという三光寺の住職、市民劇場の会員でもあるお茶屋の奥さん朝比奈さん、工具屋の奥さん山本さんとの出会いになった。
 たった4人からの出発が、町中の人が応援する取り組みになった。いつの間にか「この芝居は見なけりゃ損だ」「旅行は又行けるけれど、この芝居は一回限りだ」という声が街で聞かれる様になった。街宣車から朝比奈さんの声が流れていた。運転しているのは昔、青年団活動に青春を燃やし県団長の経験もある役場の米澤総務課長。来年島田市との合併で超多忙の身、合間を縫っての活動だった。見事な事務さばきで要点を押さえ進めていくのは、もと役場の総務課課長で観光協会局長の中野さん。当日は開場前に長蛇の列、最後尾を知らせるプラカードがロビーに溢れた人のなかで揺れていた。島田を大成功させた丸山さんたちの姿もあった。
 三光寺での打ち上げのみんなの輝く顔顔、大成功を子供の様に心から喜ぶ沖議員。
 劇団員が川根温泉で汗を流している間に用意されたテーブルの御馳走はすべて手作り、女性達の温かさが伝わる品々が鍋料理を一層美味しくする。かゆいかゆいと言いなが山芋をすりおろした男性陣、沖議員の奥様秘伝の山芋のだしは翌朝のみそ汁にも使われ、その美味しさは今も口中に甦ります。
 良い大人達がこんなに素直に喜び合える姿は今の時代そうあるものではない。
 米澤課長も石井議員も名カメラマンの植田さんも朝比奈さんもかって青年団の活動をしていた。そしてこの町には今も、みんなから信頼されている愛馬苑の松島君を先頭にした青年団がある。私は石井議員に溢れる客席の誘導をしながら「こんなに大勢の人が来てくれることになるなんて、この町はどういうことなんでしょうね」と聞くと彼は「この町は一生懸命やる人を見捨てない、必ず応えてくれる町なんです。島田に吸収合併されてもこの町は島田の誇りにきっとなります」ときっぱりと応えてくれた。その通りだと思った。酩酊した米澤さんが熱く語る「平凡な生活を非凡に深く生きる、青年団の理念です。それが地域を国を創っていく基礎になります。」
 山田洋次監督の三十数年前の映画、青年団と劇団が描かれている「同胞」の主題歌が響いていた。2日間私たちの食事の世話をやいてくれた山本さんの素晴らしい笑顔と共に奇跡の様な町との出会いは、町の名前は変わっても劇団員一人一人の演劇人生の胸に消えない記念碑を建ててくました。'07年の千秋楽の日でした。

記・玉井 徳子 (2008.01.03発行 つうしんNO.43より)