希望舞台の出会い
千の風が吹いた日
「釈迦内柩唄」は現在349回目の公演が終った。生命の強い作品に出会い、その力が素晴らしい出会いへと私たちを導き、本来ならつぶれていて不思議はない劇団が、お陰さまで芝居の旅を続けられている。
昨年秋、浜松市で念願の静岡県公演のはじめの一歩を踏んだ。東海管区曹洞宗青年会の記念大会だった。打ち合わせに何度か役員の方達にお会いした。パワーがあって真っすぐで何とも爽やかで気持のよい青年達だった。ところがお寺に帰ると奥さんがいて、小さな子供達もいるパパ達なのには驚いた。
桐畑守昌さんもその中の一人だった。かなり重度のアトピー症の様で顔も腕もかゆそうだった。細身のスラリとした長身で時折、片足をかすかに引きずる様に歩く。何気ない会話や立ち居振る舞いの中に澄んだ何かを感じさせられ、気になる一人だった。6月公演の相談にお寺を訪ねた。アトピー症と思っていたのは、抗ガン剤の副作用によるものだった。4年前33才のとき、風邪だと思っていたら急性白血病との診断を受け、即入院となった。そしてその日、一粒種の圭佑君が誕生した。「オレの癌と息子は同い年なんス」と言って笑った。弟さんからの骨髄移植を受けた、七月十八日のその日をセカンドバースデーと言うのだそうだ。90キロの体重が50キロになった。小さな我が子の事を思うと死を受け入れる事は若い彼には難しかった。
ある日「千の風になって」を聴いた。涙が止まらなかった。死ぬことが怖くなくなった。今、4才の圭佑君は「お父さんは風になるんだよね」と無邪気に言っているとのこと。でも、息子が熱を出して寝ている時、「お父さん」と呼んでも免疫力のない自分には抱いてやることも、彼の部屋に入る事も出来ないのが辛いと言う。足の痛みに耐え、療養生活とは程遠い、一瞬一瞬に全生命を燃焼させて生きている彼に初日の浜北公演を託した。浜北には宗派を越えたこの地域独特の仏教青年会がある。その仲間に話すという。連絡のないまま時が過ぎ、公演は難しいのでは?と思い始めた頃、電話があった「今、会議が終わり主催する事になった」と元気な声。
劇団のことも作品のことも彼以外、知る人はいなかった。「お前はだまされていないか」と強く反対する先輩がいた。かれは「俺たちは和尚だ、まず相手を信じることからはじめるのは当たり前の事だ」と担架をきったという。受話器を持った私の身体にあついものが駆け巡った。若々しい千の風が吹き抜けた公演だった。
彼は今、希望舞台遠州応援団長を自負してくれている。