希望舞台の出会い
父の袈裟
「あそこのお坊さん、この前ポスター頼んだら張ってくれたから、声かけてみれば…」
禅宗寺院で三年前にこの街へ来たと言うことだけ、電話番号すら知らない。協力してくれる人がなかなか見つからず、どんな些細な繋がりでもと言って聞いた紹介だった。
正直、これだけの紹介で門をくぐるのはとても嫌だった。昨今の物騒な事件やら世相が頭に浮かぶ、ただでさえ礼節としきたりを大切にする寺院。「喝っ」とかやられて門前払い、なんてことも当然だと思いつつ、それでも私から、劇団から言い出した公演、後には引けないと恐る恐る足を踏み入れた。
口数のすくない人だった。彼は知り合いも少なく、檀家もいないこの寺に現れたのか知りあぐねる様子だった。「よくわからないし、多分お力にはなれないと思います」と言いつつも、「お寺は困っている人や、悩んでいる人たちが求める場所なんです」そんなお寺にしたい、だから行きますと参加してくれることになった。
知り合いも少ない土地では、いかにお坊さんでも券は売れない。でも、何か出来ることならと、ポスターを貼り、宣伝カーの運転までかってでてくれた。「あそこに見える集落に行きたいのだけれど、行く道が何度探しても見つからなんですよ」とか「大人は聞こえないふりです。子供は素直に反応してくれます。」とかキラキラした目で話してくれる。なんだか「同胞」の映画に出てきそうな青年たちの姿とダブル…。
元々は盛岡のお寺だったが、彼が19才のときに父親(先代の住職)が亡くなり、ある事情で祖父、父と続いたお寺を出なければいけなくなった。それから彼とその家族がどのような経緯で、このお寺にきたのか多くは語らないが雨漏りのしないところと言うことで今のお寺に来た。
子供の頃、近所の人が相談事をしに来た。それを父である住職はひと言ふた言、相づちとも思える短い返事を襖越しに聞いていた。数日後、その人が大変喜んでお礼に来た。その人は檀家でもなんでもなかったそうだ。
その一件以来、漠然とではあるがお寺を継ぎたい。共に生きていきたいと思ったという。その後、雲水としては異例の三年間の修行を重ね住職になった。
お寺だからお坊さんになり、親が政治家だから政治家に簡単に納まってしまう人たちの多い中で、はじかれても、這いつくばってでも理想のお坊さんを目指す彼を美しいと思った。
彼の父は盛岡に眠るという、しかし彼はまだそこへは訪ねて行けない「いつの日かキチンと父の元へ訪れたい」という。