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希望舞台の出会い

優しい風

北海道羽幌町

~ヤクザの親分が火葬場に~

 津田さんの職場は日本海を一望する海にせまった緑に囲まれた丘にあった。羽幌の街はずれ、丘陵の間から青空を背景にエントツが見えてくる。「羽幌葬祭場」とおそらく津田さんが作られた木彫りの看板を曲がるとカラスが迎えてくれるように上空で鳴きながら先導してくれる。ビックリすると津田さんが餌付けしているとのこと。

 津田さんはかって極道の親分だった。終戦の焼跡の残る新宿あたりで「道を極めて」前科三犯。本当はもっと多くて十数犯なのだけど子分が肩代わりして三犯なのだそうだ。時代の流れのなかで極道の質も変化し、失望し足を洗った。しかし、前科三犯となると使ってくれる人は簡単には見つからない、贅沢三昧の生活だった津田さんは入院中の妻の手術代も払えない生活困窮者となっていた。
 追い詰められ自殺を決めて海に向かったが死にきれず、一層絶望が深まった。もとヤクザの親分が自殺も出来なかったのだから。(今でも自殺した方を火葬する時、この人は偉い、自殺出来たんだ。と思うことがあるあるそうだ。)
 そんなとき、やっと見つけた仕事が火葬場の仕事だった。仕事を決める時、「妻と子供が辛い思いをするかも知れない」と相談したとのこと。御家族は気持ち良く賛成してくれたそうだ。そしてまもなく、津田さんは自分の母親を我が手で火葬することになる…。
 「足を洗って」一番驚いたことは、極道の世界よりシャバの世界のほうがもっと悪い奴がいっぱいいると言うことだそうだ。ネクタイ締めて背広着て涼しい顔してヤクザ顔負けの悪事をやってるのを知ると怒りが湧くと言っておられた。

 「釈迦内柩唄」の羽幌公演を終えて翌朝、「おばあちゃん」の公演以来お馴染みの、主催者のお母さん達と津田さんの職場を見学した。柩を入れる竈のなかは意外に狭く隅に灰が少し残っていた。ありのままを見たい私たちへの津田さんの配慮にちがいない。のぞき穴は案外大きく、ひっかき棒の重さと長さが新鮮だった。
 少し薄気味悪さを覚悟していたはずなのに、竈の表も裏もなんだかあったかくてホッとする様な空気があり、思わず竈を「ご苦労様ね」と撫でてあげたくなる不思議さがあった。「ここで焼いてもらえるといいな」と少なからぬ人達がそう思うのではないだろうか。
 ロビーや待ち合い室には津田さんの木彫りの面や書がいっぱい飾られ、訪れた人たちが自分の来し方と向き合える空間になっていた。

 津田さんはいう、「ここに来たら泣いちゃダメだ、涙はここに来るまでに全部流して、ここではご苦労様でした、と言わなければいけない。火葬場には優しい風がふいているのです。」

 公演当日、一番前の特等席で観てもらおうと思っていたのに、津田さんの姿はニ階の客席の一番後ろにあった。どうしてか、と聞いたら町の人達はみんな自分のことを知っている、私はいいが私の姿を見かけたら、みんながこの芝居を遠慮なく楽しめないかもしれないから、と言われた。その姿が頂いたお手紙を見ながら甦る。

記・玉井 徳子 (2004.08.24発行 つうしんNO.36より)