「釈迦内柩唄」メッセージ

「釈迦内柩唄」高浜公演を観て
この度水上勉原作の戯曲「釈迦内柩唄」が劇団「希望舞台」によって富山での公演が決まった。その最初の打ち合わせ会で出会った希望舞台の玉井徳子氏より近々福井の高浜で公演があるが観に来ないかと誘われた。そのとき私は行けたら行きますとあいまいな返事をして、スケジュールにも入れることなく、すっかり忘れてしまっていた。
ところが高浜公演のある十二月二日の朝、突然玉井氏より「来ていただけるのでしょうね」と電話があった。私は受話器を持ったまま一瞬言葉に窮した。しかし次の瞬間「今から出ます」と返事をしてしまった。
高浜まで高速を走っても四時間はかかる。二時の開演までに間に合うだろうかと車を飛ばした。
水上氏の戯曲「釈迦内柩唄」は過去に何かで読んだ記憶があった。しかし車を走らせながらどんな内容の作品だったか思い出そうとしても、昔「隠亡」といわれていた火葬場で働く人を主人公にした戯曲であったことと、その主人公が秋田弁で物語る文章が読みにくかったこと、そんな断片的なことしか記憶になく、その作品の内容は思い出せなかった。
高浜の公演会場に着いたのは開演一分前だった。席に着くと同時に幕が上がった。
舞台の進行と共に、原作を読んだ記憶がよみがえってきた。私が水上氏のこの作品を読んだのは、倒産する前の飲食店を経営していた頃で、来店する客と観念的な文学論を語っていた時期だった。その頃の私は、水上氏がこの作品で訴えたかった悲痛な叫びを聞く耳を持たなかった。ましてお棺をつくり、土葬の穴堀りをしていた氏の実父をモデルに書かれた作品であることなど知る由もなかった。そんな父を持ち、その父によって幼くして寺へ小僧として出された父への怨み、その父を許しまるごと認めたところにこの水上作品が成っている。
この作品は秋田釈迦内を舞台に、火葬を専業とする家に生まれ、差別を受けて育った主人公ふじ子が、自分の境遇に苦悩しながらも、父親の真実の心に触れて、苦闘の果てにそれを乗り越えて、火葬の仕事を引き継ぐ決意をするというストーリーである。
私は舞台の進展とともに、私自身がひょんなことから葬式の仕事に携わることになり、やがて死者をお棺に納めるという湯灌・納棺の仕事を専業としていた頃を思い出していた。親戚から「親族の恥」とののしられ、世間の白い眼を気にしながら、悶々と生きていた。そんな私に真実の世界を指し示してくれたのは死に臨んだ人や死者たちであった。
人は必ず死ぬのである。そのことを誰もが知っていながら、死を恐れ、忌み嫌い、眼をそむけて生きている。その眼が集まると、やがて差別やいじめを生む社会が形成される。
薮内ふじ子が怒り狂い、のたうちまわった苦闘の道のりは、即ち私が歩いた道程でもあった。
晴れ晴れとした顔で舞台の中央に立つ有馬理恵さんが演ずるふじ子に、明るい光が照射して幕が下りた。私にはその光が、無明の闇に射す無碍の光明のように思えた。
涙がとめどなく流れた。拍手が鳴り止まぬ先に会場を出ると、前方に夕陽に光る若狭の海が見えた。
私は観に来てよかったと、夕陽を背にして帰路へと車を走らせた。
この光に遇うものは
三垢消滅して身意柔軟なり
歓喜勇躍にして善心生ず
私はいつの間にか、この大無量寿経の一節を繰り返しつぶやきながら、北陸道を走っていた。