釈迦内

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釈迦内guest

「釈迦内柩唄」メッセージ

確かな「まなざし」

兵庫県市川町 光明寺住職
玉光 順正

 ラテン語で「メメント・モリ」という言葉がある。「死を想え」とか「死を忘れるな」と訳されている。
 今、私たちの文化は、出来るだけ死を遠ざけ、見えない様にしているといえるかもしれない。しかし、遠ざけたり、見えないようにすることと、それがなくなるということとは全く違う。そのギャップがある故に、私たちは常に、死に対する不安、恐れがあるわけである。
 その死に対する不安と恐れは、逆に戦争や殺人行為、そして自死等という悲惨な現実をも生み出している。
 死に対する不安、そして恐れと「メメント・モリ」とは別のものである。死に対する不安や恐れは「死を想う」ことをしないが故でもある。
 にもかかわらず、死は又、人間全ての人に確実に、そして平等に保障されているものでもある。
 それ故、生まれることが厳粛なことであるのと同様に、死ぬことそのことも又、人間にとって厳粛なことである。
 『釈迦内柩唄』、そこには、私たちが日頃遠ざけ、見えないようにしている死と直面して生きている人のもっている、確かな「まなざし」が表現されている。
 その「まなざし」はいわば人間の生を逆から、つまり終わりから、死の側から見ることによって生まれてくるものだといえるだろうか。
 その「まなざし」は、私たちが自分の都合を中心にして生きていく時に生み出す、様々な差別を射とおし、社会の不正を見ぬく「まなざし」でもある。
 その「まなざし」を共有することができる時、私たちの人生の一コマ一コマが、希望の舞台という意味をもってくるに違いない。
 今日のこの出会いがそうなることを願って、、、