「釈迦内柩唄」メッセージ

釈迦内初日の舞台より
背負っているものが、つらく重く耐え難いものであればあるほど、それを明るく、時にはユーモアでもって表す。人はそこに真実を見る。本当の心の叫びをみる。そして、魂をゆさぶられ涙する。
劇団「希望舞台」の今回の公演、水上 勉 作「釈迦内柩唄」はそういった芝居である。97年12月6日、三重県津市での初公演を鑑賞する機会を得た。幕が降りてから家へ帰る途中、ずっと舞台の余韻から覚めきれない興奮に心地よくつつまれながら、久しぶりに心の波立つのを感じ続けていた。
ルネ・クレマンの名作「禁じられた遊び」は、あのギターのメロディーと共に、今では誰もが知っている。
戦争の悲惨さを描いた映画は数知れない。
しかし、全く叫ぶでもなく、泣くのでもなく、静かに孤児となった子供の遊ぶ姿を描きながら、戦争の悲惨さをあれほど強く訴えきった映画はない。
「釈迦内柩唄」の舞台にも同じことが言える。
親代々の職業ゆえに差別され、恋人にも捨てられた過去をもつ「ふじ子」、その主人公がなぜ死体を焼く「隠亡(オンボ)」という仕事を引き継ぎ、むしろ誇りを持って精を出す今日に至ったのか。
差別の現実の厳しさ、それ故にこそ肩を寄せ合うように暖かかった小学校時代の家族の姿。その回想場面を挟みながら、花岡鉱山を脱出した「崔東伯」が憲兵に虐殺され、その死体を強制的に焼かれる時の、母親の悲しみを押さえきった差別に対する怒りと、人間へのやさしさが、ふじ子の今の姿に重なっていることを切々と理解できるのである。
人間は皆、平等。死ねば同じ灰になる。その灰がコスモス畑にまかれ、一人ひとりの魂となって美しい花を咲かせる。
私は「希望舞台」がこの「釈迦内柩唄」の初演の地に、三重を選んで下さったことを心から感謝している。
そして、全国の一人でも多くの方々が、この舞台を観て下さることを期待する。
何故なら、恐らくこの芝居は、劇団「希望舞台」の代表作の一つとなるであろうから。